護徳寺の境内に入り参道を進むと、杉木立を背にした観音堂が姿を現します。
観音堂の建立は、昭和42年の解体修理の際に見出された部材の墨書から、弘治3年(1557)であることがわかっています。茅葺屋根で三間四方の小堂ですが、組み物などの手法は雄大で室町時代の建築様式をよく伝えており、会津と越後の中世建築のつながりを知る上で重要です。
堂内の柱や壁板には戦国の世に旅した人々の思いを込めた落書がびっしりと書き記され、往時の街道の賑わいが伝わってきます。また中世会津地方に勢力をはり、天正17年(1589)に滅亡した芦名氏が伊達政宗と争ったとき、家の守り仏をひそかにこの土地に移したといわれています。堂内には芦名氏武将33名の墨書がこの言い伝えを裏付けるかのように残されています。
建築後の沿革については詳らかではありませんが、当地は元会津藩領であり、寛政年間の覚書によると領主松平氏の庇護の下、大小の修理がなされてきました。
本尊の聖観世音菩薩像は古くから秘仏となっており、拝観することはできません。脇仏の聖観音菩薩立像、地蔵菩薩立像は室町時代のものと推測され、会津仏教文化の流れをくむ地方色豊かで美しい姿を今に伝えます。
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