文字の大きさを変更

  • 拡大する
  • 縮小する

歴史・文化財

 

津川城跡(つがわじょうせき)

関連用語:県史跡、中世山城、金上氏、津川

 津川城は、阿賀野川と常浪川の合流部に半島状に突き出た山稜の先端部、通称「城山」(標高140m)に築かれています。
  東は馬背状の尾根伝いで主峰麒麟山(標高195m)に達し、他の三方は険しく切り立ち岩盤が露出しています。こうした天然の要害に大小多数の曲輪(土や石で築いた囲い)や桟敷壇を設け、要所に縦堀を掘り下げ、中世の山城としては珍しく石垣を積むなどして、全山を堅固な要塞に仕立てています。
  津川城の始まりについては、建長4年(1252)会津守護芦名氏が、一門の藤倉盛弘に、会津領の西端防備のために築かせたといわれます。盛弘の次・盛仁の代から金上姓を名乗り、芦名家の重臣として代々津川城主を勤めました。
  15代城主・金上盛備は天正17年(1589)伊達政宗との戦いに敗れて金上氏は滅亡。以後、会津領主は伊達・蒲生・上杉・蒲生(再)と変わりますが、それぞれの領主は重臣を津川城主に任じました。
  徳川氏が豊臣氏を滅ぼして天下を平定させ、江戸幕府を開いた元和元年(1615)には一国一城令が出され、支城である津川城は存続が難しくなり、寛永4年(1627)藩主加藤嘉明のとき津川城は廃城となりました。

津川城跡詳細
  • 種別:県史跡
  • 名称・員数:津川城跡
  • 指定年月日:昭和40年4月7日
  • 所在地:津川4125-1ほか(津川地区)

このページの内容は以上です。 歴史・文化財へ戻る  文化財・観光・施設マップへ  このページの先頭へ